電波塔

美ヶ原電波塔

美ヶ原電波塔は県のほぼ中央に位置し、全県に各種の電波を送っている施設群です。
美ヶ原事業所連絡協議会が組織され、16の事業所で構成されています。

記録によると、昭和27年に国家地方警察(現長野県警)に対して、美ヶ原超短波中継所の敷地を三城に確保していることが、台上電波関係設備建設の始まりです。
同じ年に信越放送が全国で8番目の民間放送としてラジオ放送を開始し、昭和33年10月にテレビ放送を開始しました。
このテレビ放送を開始するにあたり、信越放送株式会社では「長野県は山が多く、一波で全県に行き渡らせるには、山の山頂から電波を出す以外に方法はない」という結論に達し、当時としては世界的にも例の少ない「マウンテントップ方式」と呼ばれる方法を採用するに至りました。地形上、全県のほぼ中央に位置する美ヶ原台上は最有力候補となり、郵政省(現総務省)やNHK、長野県、関連市町村に働きかけ、最終的にはNHKも追従する形で美ヶ原送信所を建設することが決まりました。

標高2,034m(山頂)付近での工事は困難を極め、工事用道路の借用地問題、台風等の天候悪化に見舞われましたが、なんとか本放送に間に合いました。
厳しい環境から、局舎は風圧と防寒に考慮した半ドーム型となっています。
このドーム内の局舎は、1階と2階の床が外壁と切り離され、断熱材を入れるなど、寒さ対策がとられています。

昭和34年には中部電力、翌35年には東京電力が通信用マイクロ波中継所を新設しています。
王ヶ鼻には中部電力が通信設備強化のために、無線反射板を設置し、日本電信電話公社(現NTT)が無線中継所を建設したのも昭和35年です。
昭和36年には日本国有鉄道(現JR)長野鉄道管理局の無線施設も建設され、昭和38年に建設省(現国土交通省)長野国道工事事務所が無線中継局を建設しました。
昭和43年に長野放送の送信所が建設され、昭和55年にテレビ信州がテレビ塔建設しています。
最も新しいテレビ局は長野朝日放送で、昭和64年(平成元年)から美ヶ原山頂より電波を送信しています。

開所当時、信越放送送信所は、越冬のために徒歩で3時間かけて登り、10日間山頂勤務をするという過酷な条件で電波を守ってきました。
翌年からはジープが配置され、2泊交代制となっていますが、厳しい山頂での越冬を毎年続けてきました。
現在では送信所の無人化が進み、月に1〜2回程度の保守点検に出向いています。

平成16年より地上デジタル放送設備増設のための工事が開始され、平成18年からデジタル放送を開始しています。

「電波銀座を拓く」と彫られた石碑が敷地内に建立されています。


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プロフィール
美ヶ原観光連盟
美ヶ原観光連盟

美ヶ原高原がまたがる3つの自治体(松本市・上田市・長和町)と関係する事業者が協力し、施設の運営や地域PRに取り組んでいる団体です。昭和35年設立。